Written by leon

 

記憶に残る釣り師達

 

釣り、この素晴らしい文化を私に注入してくれた方たちは数多い。

 

それは「隣の爺ちゃん」から始まり、「新田のガンゾウ」と言うガキ大将だったり、「青沼の妖怪」と呼ばれた稀代のヘラブナ師や、釣るのではないが手づかみで大鯉を捕獲する事で全国的に有名になった「鯉獲りまーしゃん」だった。

 

この方達には今では調べようも無く、唯一「鯉獲りまーしゃん」だけは有名人なのでウエブ検索でもヒットしてくれる。

 

私が長じてからは現代でも釣り業界にその名を轟かせる重鎮達に師事を受ける事になるが、私にとっては師であり、父であり、祖父でもあった数々の名人達を思い出と共に綴ってみたくなった。

 

「私の釣り人大全」としてしたためてみよう・・・。

 

1.隣の爺ちゃんと父

なんと言っても私の釣りの原点は父である。

 

詩人「北原白秋先生」の弟子であった父は大変な釣り好きでもあった。

 

父は地元の新聞へ「釣り文士」として執筆もしていたが、ハウツーではなくて読み物としての「釣りエッセー」が主体だったようだ。 

 

そんな父は文壇の世界から故あって離れ、大手生保会社に籍を置くようになり、家を空けることが多く小学校低学年の頃の記憶はほとんど薄い。

 

そんな父が私が2年生の夏休みに釣りに誘ってくれた。

 

しかし家を空けがちな父は私の釣り人としてのスキルを知りはしなかった。

 

2年坊なのに大層な言い方をするのにはちゃんと訳がある。当時の私は「隣の爺ちゃん」の愛弟子だったのだ。

 

今回は釣りに関わる事しか書かないが、爺ちゃんは素晴らしいハンターで、山鳥の獲り方、タヌキや兎の獲り方、など熱心に私に教えてくれた。およそ5歳から9歳くらいまでの間に色んなことを教えてくれたが、私は優秀な弟子でチャンと兎も山鳥も獲れたし、釣りに関しても相当高度な事も教えてもらった。

 

さすがにタヌキだけは怖くて獲れなかったが(笑)

 

そんな爺ちゃんに教えてもらっていた私は、なんと小学校一年生にして「釣り針の自作」が出来るようになっていた。

 

先が丸くなって使いづらくなった木綿針やミシン針を貰って、ソレをペンチで鋏んで蝋燭の火で焙る。

 

針先を少し叩いて平打ちにし、お尻も叩いてチモトを作る。もう一度焙って釣り針の形に成型する。そしてもう一度焙り、機械油に漬けて「焼き入れ」をする。

 

仕上げに針先を砥石で研いだら立派な釣り針の出来上がりだ!

 

針だけでは無い、竿もだ。

 

裏山で爺ちゃんの見立てで切ってきた「雌竹」を、枝を丁寧に払って乾燥させ、蝋燭で節周辺を軽く焙っては形を整えて、鯨の脂を何度も塗り重ねて作った「業物」をチャンと持っていたのだ。

 

今の小学生では考えられないが昔の子供はこういうことを結構やれたものだ。

 

そんな事とは露知らぬ父が私をはじめての海釣りに誘ったのだ。種目は「ハゼ釣り」

 

子供心にも漠然と「釣り人として甘く見られている」事を感じた私は、「ハゼならいつも川でどんこを釣っているから、一丁父の鼻を明かしてやろう」と意気込んだ。

 

結果は父の半分程度しか釣る事が出来ず悔しい思いをしたが、父は大変驚いていた。それ以降私を伴って釣りに行く事が増えたのは言うまでも無かった(笑)

 

中学生になるまで色んなところへ釣りに連れて行ってもらったが、不思議に技術的な教えをほとんど覚えていない。いや、そういうことはすでに現場で出会う地元名人に教えてもらっていた。

 

青沼と言う、ヘラブナで有名な石切り場跡のポイントでいつも出会う「妖怪オジサン」や、台湾ドジョウ(雷魚)を釣らせたら右に出る物が居なかった中学生のガンゾウには仕掛けやテクニックを随分教えてもらった。

 

父から教わった事で印象的だったのは「哲学」だったかもしれない。

 

「釣りは自分を探す旅のようなものだ」

「魚を釣るのではなく、心の健康を釣るのだ」

 

この二つの言葉は永らく私の心の奥底で鳴り響いている。もちろん今でも・・・。

 

2.鯉とりまーしゃん

川漁師でコレほど全国にその名を轟かせた人物は他に居ないのではなかろうか?

 

「火野葦平」「開口健」と言う二人の芥川賞作家に愛されて全国的に紹介される事となったが、九州文壇史に名を連ねる父が彼に興味を持ったのも当然の成り行きだったし、話を聞かされていた私は彼に対する妄想で頭の中は破裂寸前まで膨れ上がった物だった。

 

福岡県浮羽郡田主丸町に住んでいた「まーしゃん」は17歳の折に筑後川の川漁師から声がかかり、プロの川漁師としてデビューする。

 

伝統漁法の「鯉抱き」と言う、冬の川へ素潜りで潜って素手で鯉を抱きかかえて獲ってくると言う、何とも原始的で豪快で、なおかつ痛快な漁法だ。

 

冬場に入り、水温が下がって活動が鈍くなった鯉は、比較的水温が安定する「深んど」で越冬する。鯉抱き漁方の季節到来だ。

 

漁をする前のまあーしゃんは準備に余念が無い。

 

前々日辺りから食事に気を配る。動物性の脂やニンニクをたらふく食う。凍てついた川に潜るのだから抵抗力を付けるためだ。

 

まあーしゃんは狙いを付けた深んどのある川端でまず焚き火を始める。

ふんどし一丁になり、全身をじっくり焙り始める。

 

その間深い呼吸を何度も繰り返し、肺臓の隅の隅、血液の奥の奥まで酸素を送り込み溜め込む・・・。

 

体中に汗と脂が浮き上がった「まーしゃん」はゆっくりとおもむろに立ち上がり、「入って来るバイ」と静かにつぶやき川へと向かう。

 

暗く重い冬の雲が広がる空を写す水面を割って、まーしゃんは静かに入水する。

 

筑後川の河童と形容されるまーしゃんは見事な古式泳法で底へと潜っていく。

 

本流からわずかに外れ、えぐれたようになっているディープホールはまーしゃんによると表層より5度近く暖かいらしい。

 

其処に鯉たちは果たして集団で潜んでいた・・・。

 

ココからがプロの技であるが、決してまーしゃんは魚を追いかけない。

 

静かに静かに近づくと、両手を大きく前に突き出し、大木を抱えるような仕草で静止する。

 

するとナント一番近くに居た鯉がゆっくりとまーしゃんに近づき、胸に寄りそうに用にたなごころへと勝手に入ってくる。寒さに耐えるために水の動きの少ない水底でじっとしている鯉は、人の体温を慕って近寄ってくるわけだ。

 

まーしゃんはそれをやんわりと受け止め、恐らくは大きな豆腐を裸で運ぶくらいの強さで両の手で包み、水底を蹴って鯉を抱えたまま浮上する。

 

見物客から歓声が上がる。

 

まーしゃんは憮然とした表情で鯉を抱えたまま上がり陸手に渡す。

 

鯉は陸手に渡った途端己の運命を悟り、大暴れして陸手を強烈な尾力でふっ飛ばす・・・。

 

 

コレが私が子供の頃に何度も聞かされ、妄想した鯉抱き漁法の名手「まーしゃん」のバーチャルだ。

 

釣りとは少しはなれるが、私の釣りの原点はこんなところにあるし、隣の爺ちゃんが教えてくれた「獣の獲り方」にも通じる、「猟」や「漁」の原風景になっている。

 

私の釣り人大全 Ⅱ に続く

 

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