「リリースorイート?」

 

釣り人の恐らく100%は「魚が釣りたくて釣りをしている」のは当たり前の話だが「釣る楽しみだけ」だと釣り上げた時点で話は完結してしまう。

 

「旬の魚を食べる楽しみ」も釣りの大きな魅力になっている事は言うまでも無く、たまに魚嫌いの釣り人に出会うが「釣り本来の楽しみの半分しか味わう事が出来ないのだな」と少々お気の毒に思えてしまった。

 

さて、昨今キャッチ&リリース(C&R)の概念、気風がますます高まってきており、ともするとキャッチ&イート(C&E)派と対立する場面さえ出てきている始末。

 

私なぞは「食べたくて魚釣りをしている」度合いが非常に高く、結果的にリリースする場面はかなり少ないと言える釣り人なので、あからさまに「リリースしてナンボよ!」と豪語されると大変困ってしまう。

 

釣りの趣味と言うものは、全く多彩で微妙で偏執で個性的で、一言でまとめる事など不可能に近いと常々思えてしまう。

 

「リリースして当たり前よ!」と豪語する釣り人が仮に一年中、チヌもしくはスズキばかり追い求めている偏執傾向のアングラーだったとする。

 

コレはリリースして当たり前の話だ。年中同じ魚ばかり食えるわけが無い。

 

ただし、環境汚染と乱獲で獲物が年々減少しているのは紛れも無い事実であり、悲しい事に日本では渓魚などの漁期は定めてはあるものの、海の魚に付いてはサイズや持ち帰りの匹数などに付いては国家レベルのレギュレーションが全く決められていない。

 

例えばアメリカでは西海岸だけでも海の魚について12種ものレギュレーションが定められており、持ち帰り匹数に制限は無いものの、サイズに付いてはかなり厳しいルールがあって「海のおまわりさん」が結構頻繁にチエックしている。

 

この日米の差は将来を考えるにかなり由々しき問題ではなかろうか?

 

こう言ったことを行政に任せるのは、釣り人みずから政治家になり、国政に参加しない限り難しい話なのでさておく事にし、我々は何らかの自主規制観念を持たなければいけない事は間違いのない話であろう。

 

私は、胸をはっていえるほどの動物愛護精神は持ち合わせては居ないが、少なくとも動物の命を絶つことには必ず畏怖の念は付きまとう。

 

例えば、セミやカブトムシ一匹を殺すのに絶対的ためらいを覚える。しかし魚にはさほどの痛痒を感じないのは私だけであろうか?

 

どうもこの辺が感覚が麻痺をしている所で、改めて反省しなければならないところでもあろうか…。

 

ともあれ「釣った魚をどうするか?」は真剣に考えねばならない主題だし、食すにしてもそれぞれの事情の中で自主規制的制限を設けた方が良いのは間違いない。

 

しかしコレがまた難しい。

 

例えば「成魚を食うか?幼魚を食うか?」と言うこと一つとっても私のような「魚っ食い」は大いに悩んでしまうのである。

 

列挙するならば

●スズキは50cm位が一番美味い

●メバルは20センチくらいが一番美味い

●アオリはタバコの箱ほどの幼魚が美味い

●なんに限らず、幼魚は背越しで食うと美味い

●ちっちゃいのはから揚げが美味い

 

などなど、枚挙に暇が無いくらい親が美味かったり子が美味かったりするのだ。私はスズキは60cmオーバーはまず持って帰らない。80100なんてサイズはもってのほかだ。即リリースする。なんて事はない、釣った後は食うことしか考えてないから…。こう言う風に「食う事」に比重を掛ける場合は必ずしも大きいものを持ち帰りたがるわけではなくなってくる。

 

資源枯渇を考えても、親をリリースするのと、子をリリースするのとどちらが好結果に繋がるかは判然としているわけではない。たいていの小動物や魚は外敵の存在を考慮に入れて、成長、産卵に至るまでの個体数の歩留まりを産卵数によって調整している。ある程度は食われてしまうのは最初から計算済みなのである。

 

艱難辛苦をかいくぐり、ようやく産卵できるまで成長した個体をリリースするのと、幼魚に近いものをリリースするのはどちらが正しいと言えるのだろうか?

 

かなり難しい課題である。

 

「抱卵したメスアオリを釣り上げたらリリースする」とか「産卵巣を守っているオスのブラックバスは釣らない」とかはある意味正しい選択ではあろう。

 

先日、テレビでオーストラリア?に棲む巨大なコウイカの生態を特集していたが、♂♀の個体数バランスは極端には違わないが、一匹のメスに対して放精できるオスは限られてしまう。

 

強いオスが獲得競争に打ち勝って、負けたオスは他でも負けたりするので結局チエリーボーイのまま一生を終える。コレは恐らくアオリにも当てはまる摂理だろう。

 

こう言うのを見ると「ふふん、♂なら少々キープしてもいいんだな!」って気になってしまうが、一説によるとアオリは触腕の吸盤(手の平)をエギのカンナで傷めると次から餌をとる事が出来ず、また、腐ったりして死んでしまうと言うデータがあるのだそうな。

 

こうなると、魚種によってはリリースが意味をなさなくなるケースもかなりあるのではないか?とさえ思えてくる。全く持って難しい課題なのである。

 

一番良いのは釣らなければ良いのだが、そんなわけにはいかない。なかなか結論の出る話ではないのだ。私は最近決めている事がある。遅きに失するのだが、近所や友人に配るほど持ち帰らないと言う事。

 

もちろんリリース禁止の乗合船など特殊ケースは省かねばならないが、たくさん釣れて嬉しさのあまり、自慢したいのも含めて大漁に持ち帰り、近所中に配ったりする事はある程度のアングラーは経験するだろう。

 

この辺を自重せねばならないし、私なぞは釣具代を捻出するために、時おりすし屋や居酒屋に大量に持ち込んでいたが、これも改めていこうと思う昨今である。

 

Written by leon